「舌が肥える」ように「頭も肥える」必要がある
私の実家は「ド」がつくほど田舎にあり、人口よりも牛が2倍近くいるような緑豊かな地なのだが、それはもう素晴らしいところである。実家の庭では野菜や果物を育て、食べごろになったら食卓に並ぶのが当たり前なのだ。特に母は、とれた野菜や果物を嬉しそうに、愛しそうに、自慢してくる。その程度を言うなれば、野菜を「ちゃん付け」で呼ぶくらいだ。
毎年、とれたブルーベリーやラズベリーはジャムにしている。実家のジャムはベリーの形がごろごろ残っているところが特徴で、本来の果物の甘さを生かしてつくるのが母のこだわりだ。一人暮らしをするようになって、市販のジャムにも手を出したことがあるのだが、あまりのまずさに絶望し、市販のジャムについてググった経験がある。調べたところ、
結論、手づくり以外ではまともなジャムは食べられない。
市販のジャムの原料は、安全性にこだわりのある果物などは使われることはない。
安い、くずのようなものが使われる。
また、果物と砂糖で煮詰めるのではなく、果物を炊いたら、ペクチン(果物の成分ですが、その製造工程の安全性は疑問)やクエン酸を入れて、煮詰めないまま無理矢理固まらせてしまう。さらに着色料、酸化防止剤(空気に触れる表面の色が黒ずまないように)、防カビ剤(開封した後の防腐剤として)、レモン果汁(味付け、TBZやOPPのポストハーベスト農薬汚染)などなど。ひどい場合、果物の使用が0であったり、使っていても極少量というペクチンジャムまである。
確かに母は、子どもたちのアトピーや体への負担を気にして食べ物には相当こだわっていた。人間の血液は120日(4ヶ月)で入れ替わるといわれているので、しっかり体質を改善するには、まず4ヶ月必要ということになる。「4ヶ月前の今日食べたものが血液となり今の身体を作っている。」のである。
ここまではジャムの話だが、本当に言いたかったのはそういうことではない。
私はいかに舌が肥えていたのだろうか、ということが言いたい。
そもそも「舌が肥える」とはいろいろなものを食べて、味のよしあしがよくわかるようになる。ことであるが『これって味覚以外にも言えることだよね?』と思うのである。視覚情報、聴覚情報、嗅覚情報・・・様々なものにまず触れて咀嚼しなければいけない。でないと、よしあしすら判別できないのである。さらにいうと、判別した上で「いいもの」に触れ続け、アップデート(上書き保存)し続けていくことに意味がある。
「いい情報」とはなんだ?となれば、
①その道の研究者や専門家と言われる人たちの意見
②日本や日本人を客観的に見られる外部の意見
③生活者の意見
の3つを掛け合わせたものだと考える。
インターネットが爆発的に進化し、情報が氾濫している今、私たちは本当にいい情報に出会えているだろうか?判別し、アップデートできているだろうか?
ドリップコーヒーを味わったしばらくあとにインスタントコーヒーを飲み、「まずい」と思いつつ忙しさにかまけてインスタントコーヒーを飲み続けるような生活をしてはいけない。
ファストファッションやファストフードの罪は
売り手からは【プロ意識】を、
買い手からは【美意識】を、
目減りさせてしまったことではないか。
それらの意識は「プライド」とも言い換えることができて「自分で選ぶ力」ともいうことができると思う。
いいものに触れ続けてアップデートしていくことが、モノの本当のよしあしがわかる「価値のある自分」をつくりだすことに繋がるのである。情報を判断したうえで「よしあし」がわかる「頭」も、舌と同様、能動的に肥やしていく必要があるのではないだろうか。
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