1年で友達が10倍になって得たものと失ったもの
休学する前と後を比較すると、友人数が10倍になっていた。ちょっと信じられなくて二度見した。こんなことを言うと「友達は数じゃないだろ!」という批判が飛んできそうだが、最後まで読んでほしい。
今、周りにいる友人が一番気の合う友達とは限らない
中学時代の知人は、対人関係が原因といわれるストレス性の病気をもっていた。そのため知人の親族は全国の病院や図書館を駆け回り治療方法を探したが、これといった治療方法は見つからなかったそうだ。病気に無知の人間からは理解が得られず、病気が悪化していく一方であった。しかし、高校で理系の進学クラスになったところ、みるみる病気が治っていったという。よく話をきいてみると、知人はそのクラスではいきいきと話に華を咲かせていて、クラス皆と仲が良いのだとか。病気や障害はその人物自身に原因がある、と捉えられがちだが、一概にそうは言えないのだと確信した。さらにこの一件は私が【外的要因が人の病気や人格まで変える】ということを目の当たりにした瞬間であった。
限られたコミュニティにいると、「合わせられない自分がおかしいのだ」と錯覚する
少ない友人の中で上手くやっていこうとすると、「合わない」と感じたときに「自分がおかしいのだ」「自分を変えなきゃいけない」と思い込むようになる。なぜならそのコミュニティの世界にしか自分の友達がいないと思い込んでおり、外に出ると友達がいなくなるという恐怖を持っているからである。実際のところ、世界はそんなに狭くない。
自分と合う人が同じ環境にいるとも限らないし、同じ年代とも限らない。さらには同じ性別とも限らないし、同じ国籍とも限らない。私は、友達を増やすことでその可能性に気づくことができたのである。例えて言うなれば、自分の脳みその中から一番最適な言葉を見つけるのと、国語辞典や英語辞典、フランス語辞典などの中から見つけることの違いのような気がしている。
逆に、友達が増えると失うものってなんだろう
一人一人と濃密に話を深掘る時間は失う。失うけれども「どう作り出すか」「多くの時間をかけずに深い話までする」という生産性の高いフェーズに移る。失うからこそ、次のステップに移ることができるのである。
また、「失う」というよりは「なかった」ことに気づく。というのもより地頭がいい、とか語彙力がある人とたくさん出会うと「自分の知識量のなさ」「自分のインプット、言語化やアウトプットの遅さ」が手に取るようにわかってしまう。それは常に自分に満足できないことと同義なのでかなりしんどいはずである。
最初の話題に戻ると、
「友達は数じゃないだろ!」というのは
その通りだと思います。けれど、数多くの人を見たからこそ、「質」がわかるのではないだろうか。
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